安土桃山時代で中学のテストによく出るポイントをまとめてほしい!
安土桃山時代の出来事・年号をなかなか覚えれられない・・・
サクッと覚えやすい語呂合わせを知りたい!
今回の記事は、こういった要望に答えます。
この記事を読めば、
- 安土桃山時代でおさえるべきポイント3つ
- 安土桃山時代の重要な出来事・年号+語呂合わせ
- 室安土桃山時代の文化のポイント
がスッキリ分かります。
なお、安土桃山時代の前の「室町時代」はこちら。
室町時代で中学のテストによく出るポイントをまとめてほしい! 室町時代の出来事・年号をなかなか覚えれられない・・・ サクッと覚えやすい語呂合わせを知りたい! 今回の記事は、こういった要望に答えます。 こ[…]
安土桃山時代のポイント3つ!
安土桃山時代 [1573〜1603年] の流れ・ポイントは3つに分けられます。
- 織田信長の統一事業
- 豊臣秀吉の統一事業
- 桃山文化
それでは、安土桃山時代の流れを見ていきましょう。
安土桃山時代① 織田信長
※ 写真:「長篠の戦い」の様子(Wikipediaより)
足利義昭を京都から追放した 織田信長 は、1575年に甲斐(山梨県)の武田勝頼を 長篠の戦い で破りました。
1575年 長篠の戦い
【覚え方】以後長う(いごなごう)に 鉄砲隊が活躍
長篠の戦いでは、織田の足軽鉄砲隊が武田の騎馬軍団を圧倒したことで有名です。
そこから、この戦い以降も長いこと鉄砲隊が活躍するようになった、と繋げて覚えましょう。
信長は近江(滋賀県)の琵琶湖のほとりに 安土城 を築きました。
商業を発展させるために安土城下町の税を免除し、商工業者の組合である座を廃止しました(楽市・楽座)。
さらに関所を廃止したことで人々の往来が増え、安土城下町は発展していきました。
ところが、1582年に家臣の 明智光秀 の裏切りにより、信長は本能寺(京都)で自害します。
1582年 本能寺の変
【覚え方】いちごパンツの信長さん
信長の家臣である 豊臣秀吉 は、本能寺の変を知ると明智光秀をすぐに倒しました。
安土桃山時代② 豊臣秀吉
※ 写真:大阪城
織田信長の後継者争いに勝った 豊臣秀吉 は大阪城を築いて、天下統一を目指す本拠地としました。
兵農分離
秀吉はもとは羽柴姓であったが、関白・太政大臣といった最高役職に任命され、朝廷から豊臣姓を与えられました。
まず、全国で基準を統一した物差しや升(ます)を使って土地の測量調査(検地)を行いました。
これを 太閤検地 と言います。
1582年 太閤検地
【覚え方】本能寺の変(1582年)と同年
太閤検地により、大名の領地が、米の生産高である 石高(こくだか)で表されるようになりました(石高制)。
農民に土地の所有権を認める代わりに年貢を納めさせたことで、荘園制度が消滅することになりました。
1588年、「農民による一揆を防ぐ」という目的で 刀狩令 を出して、農民や寺社から刀、弓、鉄砲などを取り上げました。
1588年 刀狩令
【覚え方】以後、刃はない
秀吉が行った太閤検地、刀狩令といった「武士と農民の身分の差をはっきりさせる」政策を 兵農分離 と言います。
天下統一
秀吉は、島津氏を破り九州を平定し、さらに北条氏を破り関東・奥羽を支配したことで、ついに天下統一を果たしました。
1590年 豊臣秀吉が天下統一
【覚え方】東国(とうごく)を倒して 天下統一
天下統一を果たした秀吉は、今度は明やインドまでも支配しようと考え、その足掛かりとして朝鮮半島に出兵します。
朝鮮の首都である漢城(ソウル)を占領したものの、李舜臣(イスンシン・りしゅんしん)の水軍や、明からの援軍にはばまれ退却しました。
これを 文禄の役(ぶんろくのえき)と言います。
1592年 文禄の役
【覚え方】異国(いこく)に出兵 文禄の役
諦めきれなかった秀吉は、1597年にも朝鮮出兵を行なったが、翌年病死してしまい日本軍は退却しました。
この戦いを 慶長の役(けいちょうのえき)と言います。
1597年 慶長の役
【覚え方】以後、苦難(くなん)が絶えない 慶長の役
これら2つの朝鮮出兵を合わせて「文禄・慶長の役」と呼んだりもします。
2度にわたる朝鮮出兵は、武士や農民に負担を強いることになり、大名の対立も引き起こしました。
その後、秀吉の後継者争いが起こります。
秀吉の家臣だった 徳川家康 は、豊臣政権を守ろうとする 石田三成 との戦いに勝利しました。
徳川家康率いる東軍、石田三成率いる西軍に分かれた、この 関ヶ原の戦い は「天下分け目の戦い」と呼ばれました。
この3年後(1603年)、徳川家康が征夷大将軍となり 江戸幕府 を開いてから、次の 江戸時代 [1603〜1867年] が始まります。
安土桃山時代③ 桃山文化
※ 写真:姫路城
織田信長、豊臣秀吉が活躍した時代を 安土桃山時代 [1573〜1603年]、その頃の文化を 桃山文化 と言います。
桃山文化は「力強く、豪華で壮大な文化」という特徴があります。
※ 写真:狩野永徳「唐獅子図屏風」(Wikipediaより)
桃山文化でテストによく出るのはこちら。
- 障壁画:狩野永徳「唐獅子図屏風」など
- 茶の湯:秀吉にも仕えた 千利休(せんのりきゅう)が大成
- 浄瑠璃:三味線に合わせて恋物語などを語る
- かぶき踊り:出雲阿国(いずものおくに)
また、ポルトガル・スペインと行なった南蛮貿易の影響で、活版印刷術、天文学、医学、航海術などの技術・学問が日本に伝わりました。
服装ではズボンやボタン、食べ物ではカステラなども入ってきました。
このように西洋の文化から影響を受けて成立した文化を 南蛮文化 と言います。
安土桃山時代のまとめ
最後に、安土桃山時代 [1573〜1603年] の流れ・ポイントをまとめておきます。
- 織田信長:長篠の戦い → 楽市・楽座 → 本能寺の変
- 豊臣秀吉:太閤検地・刀狩令 → 天下統一 → 文禄・慶長の役
- 桃山文化
徳川家康が江戸幕府を開いて、次の 江戸時代 [1603〜1867年] へと突入していきます。
Next:江戸時代
準備中