飛鳥時代で中学のテストによく出るポイントをまとめてほしい!
飛鳥時代で重要な人物・出来事+年号を教えてほしい!
サクッと覚えやすい語呂合わせはないの?
今回の記事は、こういった要望に答えます。
この記事を読めば、
- 飛鳥時代でおさえるべきポイント3つ
- 飛鳥時代の重要な出来事・年号+語呂合わせ
- 飛鳥文化でよく出るポイント
がスッキリ分かります。
飛鳥時代のポイント3つ!
飛鳥時代 [593〜710年] のポイントは、
大きく3つに分けられます。
- 聖徳太子の政治
- 飛鳥文化
- 大化の改新
それでは、飛鳥時代の流れを見ていきましょう。
飛鳥時代① 聖徳太子の政治
飛鳥時代 [593〜710年] と言えば、誰もが知っている 聖徳太子(厩戸皇子)。
593年、その聖徳太子が、自分のおばにあたる 推古天皇 の 摂政 となりました。
593年 聖徳太子が推古天皇の摂政となる
【覚え方】国民(こくみん) 大歓迎!
※ 摂政(せっしょう):子ども・女性の天皇の代わりに政治を行う役職
聖徳太子は、有力豪族の 蘇我馬子 と協力して、天皇中心の制度を整えていきました。
有名なのが 冠位十二階の制度 です。
603年 冠位十二階の制度
【覚え方】聖徳太子が摂政となる(593年)の 10年後
これは、冠の色などで12段階に役職を分けて
「身分や家柄に関係なく、才能があれば高く評価する」というものです。
さらにその翌年(604年)には 十七条の憲法 を制定します。
604年 十七条の憲法
【覚え方】冠位十二階の制度(603年)の 1年後
十七条の憲法 の目的は「役人に対して心構えを示すため」です。
テストによく出る、以下の3点を覚えておきましょう。
【十七条の憲法】
✔︎ 第一条
「和を以って貴しと為し」:和を大事にして、みんなで話し合いなさい
✔︎ 第二条
「篤く三宝を敬へ」:三宝(仏・法・僧)を大切にしなさい
✔︎ 第三条
「詔(みことのり)を承りては必ず謹め」:天皇の命令に必ず従いなさい
※ 赤文字の3つは、必ず覚える!
では、なぜ聖徳太子はこれらの改革をしたと思いますか?
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答えは「隋が中国(南北朝)を統一したから」です。
隋 [581〜618年] が中国全土に大帝国を築くと、聖徳太子はこれに対抗するため天皇中心の「中央集権国家」の体制を整えました。
また、日本は中国の進んだ文化を取り入れようと、隋と国交を結んで使者(遣隋使)を送りました。
607年 遣隋使 小野妹子
【覚え方】 無礼(ぶれい)な 手紙の 遣隋使
聖徳太子が(推古天皇の名で)隋の煬帝(ようだい)に出した手紙に「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す」と書かれていたため、
これを読んだ煬帝は「無礼なやつだ!」と激怒したというエピソードがあります。
飛鳥時代② 飛鳥文化
※ 写真:法隆寺金堂(左)と五重塔(右)
聖徳太子の頃の「中国や朝鮮半島の百済(くだら)、ギリシャやインドなどの影響を受けた国際色豊かな仏教文化」を 飛鳥文化 と言います。
飛鳥文化でテストによく出るのは、こちら。
- 法隆寺:現存する世界最古の木造建築
- 釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう):法隆寺金堂に納められた、真ん中に釈迦、両脇に2体の菩薩を配置したもの(国宝)
- 百済観音像(くだらかんのんぞう):朝鮮半島の百済から渡来した観音菩薩像(国宝)
- 玉虫厨子(たまむしのずし):装飾に玉虫の羽をほどこした工芸品(国宝)
どれも漢字で書けるように練習しておきましょう。
飛鳥時代③ 大化の改新
7世紀の大陸では、隋が滅んで 唐 [618〜907年] が中国を統一しました。
唐は律令をつくり、戸籍に登録した民に土地を与える代わりに税を納めさせるなど、中国全土を支配する仕組みづくりを行いました。
中国の進んだ仕組みを取り入れるため、日本は中国に 遣唐使 を送り始めました。
630年 遣唐使を開始
【覚え方】ロミオ!
ロミオ(日本)がジュリエット(唐)に会いに行ったということですね!?・・・Oh!ロミオ!
一方、蘇我馬子の子である 蘇我入鹿 が日本の政治を支配し始めると、
中大兄皇子(のちの 天智天皇)と 中臣鎌足 は入鹿を暗殺し、蘇我氏を滅ぼしました。
645年 大化の改新
【覚え方】虫殺し(むしごろし) 大化の改新
中大兄皇子と中臣鎌足にとって、蘇我氏は悪さをする虫のように思えていたのかもしれません。
大化の改新 により、これまで天皇や豪族が支配していた土地と人民を、公(朝廷・国家)のものとする 公地公民 を原則としました。
こういった「天皇・朝廷による支配を可能とし、権力を中央に集中させる仕組み」を 中央集権体制 と言います。
この頃、朝鮮半島では唐と新羅の連合軍が、百済と高句麗を滅ぼしました。
日本も百済を助けようと出兵したものの、あえなく敗退。
その結果、新羅が朝鮮半島を統一しました。
これを 白村江の戦い(はくそんこう・はくすきのえ のたたかい)と言います。
663年 白村江の戦い
【覚え方】む、無残(むざん)・・・! 白村江の戦い
※ 敗戦の後、日本は九州に 防人(さきもり)を置いて警護にあたらせた
その後、中大兄皇子は 天智天皇(てんじてんのう)に即位したが、彼の死後、
- 大海人皇子(おおあまのおうじ:天智天皇の弟)
- 大友皇子(おおとものおうじ:天智天皇の息子)
が後継者争いをしました。
これを 壬申の乱(じんしんのらん)と言います。
672年 壬申の乱
【覚え方】無難(ぶなん)に 勝った 壬申の乱
壬申の乱に勝った大海人皇子は、天武天皇 に即位しました。
天武天皇は、唐の都「長安」をモデルにして 藤原京 の建設を始め、
次の 持統天皇(天武天皇の皇后)のとき、藤原京に遷都(694年)しました。
その後、唐の律令制を手本にしてつくった 大宝律令 が完成しました。
701年 大宝律令
【覚え方】なおいい国に 大宝律令
※ 律令とは?
- 律(りつ):刑罰の決まり
- 令(りょう):政治の決まり
これによって 律令国家 が誕生し、中央(朝廷)が全国を支配する 中央集権体制 が完成しました。
飛鳥時代のまとめ
最後に、 飛鳥時代 [593〜710年] のポイントをまとめておきます。
- 聖徳太子の政治:冠位十二階の制度、十七条の憲法
- 飛鳥文化:仏教文化(法隆寺、釈迦三尊像など)
- 大化の改新:中大兄皇子と中臣鎌足 → 蘇我氏を滅ぼす
律令国家を築いていく流れは、次の奈良時代に続きます。
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